Yasso

本名 中島 康雄 

1956年9月、京都西陣を支えるミシンの超職人肌の家系に生まれミシンの音とともに今の現住所で育つ。

小学校の時、好きな科目は体育、嫌いな科目は音楽、特に独唱テストは最悪で音符は読めない
書けない、また音楽を好む奴を苦手にしていたような気がする。他のメンバーと違って音楽とは
全然、無関係の少年時代を過ごして来た。
そうした中で中学の時、吉田拓郎の「結婚しようよ」、はしだのりひこ&クライマックスの「花嫁」
などのフォークソングが大ヒット、誰も彼もがフォークギターを持ち出した。
流行ものに特に弱く、ギターを弾ける特技があれば・・・・という下ごころ丸出しで友人の
ギターで始めて触ってみるが結局、「F」・「Bm」のコードが中々押えられずに挫折してしまう
何にでも飛びつくのも早いが諦めるのも非常に早いのは今も変わっていない。

音楽好きにしてくれたきっかけは、まずは高校生の時、映画で見た「卒業」である。
その時に流れていた「サイモンとガーファンクル」の数々の名曲は今でも映画と一緒に大きな
感動として残っている。
学生時代になるとユーミンこと荒井由美が大ブレーク、当時の愛車であるモスグリーンの
カリーナのカーステにはいつもユーミンの歌が流れていた。もちろんそのころはカラオケBOXも
なく歌を歌って楽しむ事は無い。とりあえずは何か自分で使いこなせる楽器が欲しく
なったことを覚えているが、残念ながらまわりに音楽好きの連中はいなかったし、まだ心の中の
どこかに小学校時代の音楽嫌いがあったのかもしれない。
そんなこんなで卒業、社会人へ、心のどこかに忘れ物をしたまま、仕事に打ち込む毎日が続いて
行く・・・・。

それから20年、思いもしない事から「ラ・ヴィタボーイズ」誕生で本格的に音楽活動を開始!
希望した楽器はもちろん昔からの夢であるアコースティックギターであり、今までにも
ギター独特のやさしく、心を癒してくれる響きを多くのファンの心の中へ送り続けているし、
また俺の特徴であるナチュラルなリズムテンポの微妙なアレンジには他のメンバーも追随出来ず
難しい問題のあったが、結成2年目に入りチームワークも良くなりつつある。
・・・・・・・と思っているのは俺だけ?
実はギターの腕前はまだまだダメで納得いかない所も沢山あるが、今のところ嫌がらずになんとか
バンド活動出来るのは、毎回の「打ち上げ」がコレマタまた楽しい時間となるからだ。
男5人で夜中に何かの話をする訳でもないが、これがまた結構はずんで酒の量も増えるし、
翌朝が辛いのであるが止められないでここまで来ている。
さて今後のラ・ヴィタボーイズであるが、「影のリーダー」や「自称リーダー」や「目立ちたが
り屋」など、ユニークなメンバーの集まりだが話題は豊富で見逃せない!
近いうちには「ラ・ヴィタボーイズ倶楽部」も出来る予定・・・・。

LAVITABOY'S OFFICIALSITE
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