Takey


タッキー
タッキー

本名 五十嵐 隆和。1960年5月、京都の西陣に生まれる。幼少の頃より、
音楽好きの父の影響でJazzを毎日聞かされ、以後の人生において、洋楽好きの
トラウマに悩まされる。11歳の時に、姉のお下がりのクラシックギターを手にしたのが、
楽器との出会いであった。フォークソング好きの姉の影響で、毎日吉田拓郎を聞かされ、
フォーク嫌いのトラウマに悩まされる。
16歳の時、後のラヴィタボーイズのアドヴァイザーになる、高校の同級生の竹岡康樹氏と
「λ(ラムダ)」なるギターデュオを結成。1977年ベース、ドラムが加入し、4人編成でデヴューを
果たす。当時は「ステイタス・クォー」等のハード・ブギーのコピーバンドだった。
1978年キーボードが加入し、「ディープ・パープル」等のハード・ロックに変わり、
いやいやリード・ヴォーカル担当となるも、「チャイルド・イン・タイム」をシャウト中に喉をつぶし、
以後リード・ヴォーカル嫌いのトラウマに悩まされる。
予てから誘いのあった、宇治高のバンド「紅」に一人引き抜かれる。
しかし当時「紅」には、「京都のリッチー」といわれる凄腕のギタリストがいたため、ベース担当となる。
本人は「ジミー・ページも、ロン・ウッドも最初はベーシストからスタートだったから、、、。」と
自分に言い聞かしたが、挫折する。以後ベース恐怖症のトラウマに悩まされる。
この時、救いの手を差し伸べたのが、竹岡氏だった。1979年、京都教育大の岸田智史も
所属した事のあるクラブのバンド「デスペラード-Ⅲ」にツイン・リードギターとして、竹岡氏と加入する。
「イーグルス」等のウエストコーストを中心にしていたこのバンドが、彼の音楽性にマッチし、以後4年間
数々のライヴ活動を経験する。「早弾きより、メロディアスに。」「どんな曲でも、ハモれない曲は無い」
この時の経験が、現在でも彼のギター&ヴォーカルの核となる。
本人曰く「あの時の竹岡が、女神に見えた、、、。」
以後、竹岡氏大好きトラウマに悩まされる、、、、。
その後、突然の引退宣言。「普通の社会人になります。」の名言を残して、
表舞台から消えていった。、、、、、、、、、が、
突如2002年になり「ラヴィタボーイズ」のリードギタリストで、20年ぶりに復帰した。

哀愁漂う、味のあるギターとハイトーンのハモりヴォーカルは、20代の頃と変わらず、
数々の女性ファンを今日も熱狂さす!(予定)

本人曰く「燃え尽きるには、まだ早い!」そして、
「数々のトラウマに打ち勝つまで、頑張る!」

Date
好きなアーティスト・・・・・・・キング・クリムゾン、ピーター・ガブリエル、V・D・G・G。
影響を受けたギタリスト・・・リッチー・ブラックモア、ジョー・ウォルシュ。
愛用楽器;フェルナンデス・ストラトキャスター’79モデル・メイプルウッド。
アタッチメント;BossBR-2、BossDD-5、MaxonOD-808。

Size
178cm 75kg  18cm

LAVITABOY'S OFFICIALSITE
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